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2010年10月6日水曜日

60日目

8月8日にこのブログを始めて、今日で60日目、
約2か月たった。

1年間は続けるつもりなので、約6分の1を
達成したことになる。まだまだ長い道のりだが、
人生の長さに比べたらそれほどのことはない。

若い頃、密教の修行で千日行というのをやった
ことがあるが、それは途中で一日できず最初から
やり直したことがある。それは確かフィリピンで
熱帯農業の研修を受けていたときだったように
記憶している。

また、若い頃から様々な祈りを続けているが、
その中には、マザーテレサが好きだった
「平和の祈り(聖フランシスコ)」があったり、
ダライラマが好きな「心を訓練する八つの詩頌」
があったりするが、ガンジーの祈りはまだない。
いつか見つけて僕の祈りに加えたいと思っている。

最近気づいたのは、僕の祈りの一つでもある
宮沢賢治の「雨にも負けず」の中に、「欲はなく
決して怒らずいつも静かに笑っている」とあり、
笑いがあったことだ。これはうれしい発見だった。

ほかにも何か笑いに関する祈りがあれば、今後
取り入れていきたいと思う。

僕が憧れる聖人たちは、皆祈る人だ。祈りこそ
人の心を純化し強くしていくものだと感じている。

人からどう見られ思われていても、自分の心は
自分が一番知っている。自分がいつも人や世界
に対してどう思いどう感じているのか、何を強く
願っているのか、それが自分というものの核を
形成していると思う。

本物の聖人の心は、純金のような清らかさと
強さを兼ね備えている。それに触れたとき、
人は感動し涙する。

聖人の笑いには、皮肉や蔑みはなく、慈愛に
満ちた喜びのメッセージがある。そんな笑いを
僕も身に付けたいと思う。

笑いヨガは、日本流に言えば、笑いヨガ道に
なるのかもしれない。

笑いヨガを極めようとする道は、おそらく
ガンジーが求めた「真理」に向かうものでは
ないかと思われる。

笑いヨガを極めようとする者は求道者と
言えるのかもしれない。

一応、役目としてリーダーとかティーチャー
とか名前がついているが、道を究めようと
する者にとっては、皆同じ求道者にすぎない
のだろうと思う。

今日は、ちょっと宗教家きどりで語って
しまった(^^ゞ。

やはり実践には勝てない。人生で実際に
そう生きられなければ、言ったり書いたり
したことは言葉遊びでしかない。

今朝は、雨が強かったので布団の上で
五つの呼吸法を行った。

そして、何かの動作をきっかけとする笑いを
いつものように実践した。今日特によかった
のは、風呂での笑い。いろいろと面白い映像
を思い浮かべながらかなりたくさん笑った。
結構気持ちよかった。

今日は早めに寝ようと考えて、いつもよりかなり
早めにブログを書き始めた。

さあ、そろそろ寝ようかな。
お休みなさ~い。

追伸:ふと思ったのだが、祈り笑いというのも
あり得る気がする。

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