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2014年2月20日木曜日

苦手な人が存在することの意味について

本日「笑いヨガ新潟」http://lyniigata.blogspot.jp/のMLの
質問「クラブに苦手な人が来ていて疲れるのですが...」
への回答を書きました。参考までにそれを以下にコピー
します(^^)。

(回答)
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ご質問の件ですが、僕の個人的な意見を書いて
おきますので参考にしてください。他のみなさんの
ご意見もあればぜひどうぞ(^^)。

苦手な方はもちろん僕にもいますが、その方と
接しなければならなくなるということに何か意味が
あるのだと考えています。

僕は、自分の人生に起こっていることはすべて
意味のあることだと考えています。これは
多くの宗教でそういう考え方をしていますし、
もちろん仏教もそういう考え方に立っています。

そういうことをより分かりやすく説明して
いるのが「ホ・オポノポノ」ですので一度
その本を読まれることをお勧めします。
http://goo.gl/xmK0

ホ・オポノポノでは、自分が人生において
体験することのすべては自分の責任で
あるという立場をとっています。これは
カタリア先生の言う「笑えば自分が変わる。
自分が変われば世界が変わる」に通じる
ところがあります。

最初は僕もすべてが自分の責任である
という考え方に抵抗がありましたが、
よく考えるとそれは人を変える必要が
なく自分さえ変わればすべてが変わる
ことを意味するため、かえって気持ちが
とても楽になりました。

人を変えようとすると人とぶつかるように
なるし、それは疲れます。人はそのままで
いいのです。自分が本当に変われば不思議
にその人も変わるのです(正確にはその
人と自分との関係性が変わるということ)。

あるいは、自分(の人生)にとって必要
でなくなった人は、もう二度と会わなくて
よくなると言うことです。会うと言うことは
自分にとってその人が必要だということを
意味しているのだと思います。

ホ・オポノポノの考え方が面白いのは、
人との別れを否定的に捉えていないこと
です。むしろ肯定的に捉えているのです。

感情的には人との別れは淋しいことですが
それを肯定的に捉えると、その人から
学ばなければいけないことはすべて
なくなったということになるのです。
別れは、人生という学校の卒業式
のようなものだと考えたらいいのだと
思います。

人生において出会いも別れも自分で
コントロールできることはほとんど
ありません。それを否定的に捉えて
恐れたり悲しんでいたら、本当に
大事なことを学ぶチャンスを失って
しまいます。

仏教では、物事に執着することを
戒めて「今に生きる」ことを目指して
いますが、ホ・オポノポノの考え方
もそれにとてもよく似ています。

苦手な人がいるのは、自分にまだ
限界があることを知らせてくれて
います。

実は、完璧な人などこの世には
一人も生きていないと思います。
だからこそ生きているのだとも
言えます。

だからそういう自分を認識するのは
いいのですが、責める必要は全く
ありません。むしろ、これから自分が
成長するチャンスだと考えて、自分を
ほめ励まし、前に一歩でも進めるように
今の自分をしっかりと受け入れて
あげることがとても大切です。

人が成長する上で、恐れが大敵
となります。恐れがあると一歩前に
進むことができなくなります。

恐れは、多くの場合、今の自分を
しっかり受けとめ肯定していない、
あるいは愛していないことから
起こります。だから自分を好きに
なることが必要なのです。

今回のオリンピックでスケートの
真央ちゃんの失敗の裏には、自分を
信じ切れていないための恐れが
あったのだと僕は分析しています。

すべての出発点は、今の自分、
ありのままの自分をしっかりと受け
とめ愛することから始まるのだと
僕は思います。

長々とまた書いてしまいましたが
少しでも参考にしていただけたら
とても嬉しいです(^^)。ハハハ