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2010年8月20日金曜日

子どもの心

今朝は疲れていて起きても散歩に行けなかった。
そして、笑いヨガも朝できなかった。さっきやっと
「一人でできる笑いヨガ」Vol.1のビデオを最初から
見ながら笑っていた。

カタリア先生の顔を見ていると安心感、なつかしさ、
うれしさ、喜びを感じやすくなる。夜だし、疲れていた
ので、マイルドな笑いを続けた。

やはり、何回見ても新しい発見がある。実は、記憶が
悪いだけなのかもしれないが...(^_^;)。

今回、特に感銘を受けたのは、「心のバリアを取り除く」
という項目の中の「自分の中にいる子どもの心を発見し
子どものように遊ぶことができるようになります」で、
聞いた瞬間に「全くそうだ!」と思った。

多くの人々が、大人になるに従ってそうした子ども心を
見失い、自分を素直に表現できなくなっていく。

「ありがとう」「好きだよ」と言いたいのに言えない。
自分に対してもそうだ。もっと自分にも人にも温かい
言葉がけができたらと思う。

そうすれば、もっと自分が好きになり、人も好きになり、
身の周りの世界を住みやすく心豊かなものに変化させて
いくのだろうと思う。

さあそろそろ寝ようかな。

今日は起きるときに、過去のつらい記憶がよみがえり、
じっとその感情に耐えるしかなかったが、それが午後に
なって突然の修了生の訪問を受けたり、グーグル検索で
「笑いヨガ日記」のトップにこのブログが出たり、うれしい
メールやコメントを受け取ったりしながら、今日は本当に
いい日だったと思えるようになった。

ダライ・ラマ法王は、怒りや様々な感情に耐えながら
心の平安を保とうと努力することは、とても大切な修行
の一つであると言っていたが、最近つくづくその大切さ
を感じている。

僕は、毎日いろいろなことに不安や苦しみや怒りを
覚えるが、それは長い目で見ればほとんど無意味で
あることに気づくようになった。

しかし、それらはその存在を認められず蓄積されると
大きなパワーを持って、人を傷つけたり、嫌な思いを
させることにも気づきはじめた。

笑いには、様々な負の感情を中和し浄化する力が
あるのだと思う。

苦しいからこそ、無理にでも笑う。多くの先人が実践
してきた生きる知恵だ。

徳川家康は、たぶん多くの苦しみ悲しみを笑いながら
乗り越えて生き抜いた人なのだろうと思う。

そうした人は、人の痛みを知り、本当の優しさを獲得
するのだろうと思う。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」
は正に徳川家康らしさを示している。僕も教育者の端くれ
として、学生の成長を優しく見守り支える人間になりたいと
心から願う。

そう願いながら、明日も「ホッホハハハ」と笑って過ごせたら
と思う。

じゃ、今度こそお休み、こうちゃん(^^。

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