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2011年3月12日土曜日

東北地方太平洋沖地震発生

「11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源地とする
マグニチュード8.8の巨大地震が起きました。」
3月11日 23時16分NHKニュース

これは、国内の観測史上最大だそうだ。

最近、ブログは一日遅れの記事を書いているが
今日は、それをやめて今日起こったことを書く。

大学の研究室にいたときに、とても長い揺れを
感じた。地震だと思ったがそれが大きな地震
だとは想像できなかった。

仕事をしていたので、そのとき日本で何が
起こっていたのか、全く知らなかった。

4時頃だろうか自宅から電話があり、大地震が
起きたことを知る。

宮城県出身のゼミ生から実家と連絡がとれない
とのメールが来る。

明日明後日とゼミ旅行を計画していたので、まず
それが可能な状況かを判断するための情報収集
を始めた。

まず、外していた小型アンテナを付けてテレビを
見た。各地の被害や大きな津波の状況が映し出
されていて地震の大きさに驚いた。

ただ、ゼミ旅行先の山形県の状況が分からなかった
ので、事務室に行って情報収集することにした。

明日、学部の試験があるため、事務室はテレビを
見ながら情報収集に努めていた。

何人かにゼミ旅行についての意見を聞いたが、
全員がやめることを勧めた。

山形県は全県に停電が起きていて、高速道路
も通行止めになっていることが分かった。

研究室に戻って、旅行担当の学生に電話したが
つながらなかった。そこで、もう一度インターネット
で情報を確認し、ゼミ旅行を中止することを決断
した。

学生が準備をし、楽しみにしていた旅行だった
だけにとても残念だった。

その後、自分に何かできることはないかと考え、
インターネットを調べていたら、電話がつながり
にくくなっていて、そのため安否確認の連絡
手段がつぎつぎと立ち上がっていた。

その情報をゼミや笑いヨガのメーリングリストや
フェイスブックを使って流した。

その後しばらくして、フェイスブックでは、災害
情報専用のページが立ち上がって、情報を
流し始めた。

UstreamなどにNHKや民放の災害放送が
流され始めた。停電が850万世帯に広がって
いて、テレビを見られない人たちがいたから
だった。

笑いヨガ仲間の中に仙台に住む人がお二人
いたので、メーリングリストで安否を問うたが
未だに返事がない。無事を心から祈っている。

その後、津波が繰り返し各地を襲い、また
火災なども広がっている。また、余震も続いて
いる。

地震の被害は想像を超えて、拡大し続け
日本全国に大きな爪痕を残しつつある。

人的、物的損害はかつて日本が経験した
ことがないほどの規模になる恐れも出てきた。

今、圧倒的な自然災害の脅威に自分の無力さ
を痛感している。

少しでも災害の規模が抑えられ、被害が
これ以上拡大しないことを祈るのみだ。

神戸の大震災のときに、少しボランティア活動
をさせていただいたが、今回はそれを遙かに
凌ぐ規模の災害になるだろうと感じている。

現実は厳しい。日本人にとって、とても厳しい
試練となるだろう。

だが、我々は乗り越えなければならない。
生きるために。生き残っていくために。

この大きな試練を多くの人々との協力に
よって乗り越えることで、新しい日本の形が
創造されていくことを期待したい。

それは、互いの事を思いやり助け合う
過去からの日本の伝統を受け継ぎながらも、
現代社会の様々な情報伝達手段を駆使して
つながり合おうとするネットワークなのかも
しれない。

無縁社会化が進み、様々な問題が起きている
日本を救うのは、つながり助け合おうとする
人々が築くネットワーク、そしてそれがもたらす
絆社会ではないかと思う。

最後になりますが、災害でなくなられた方々の
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

また、現在、被災され苦しまれている方々の
心が少しでも癒されますように。

さらに、被災者の皆様が少しでも早く日常生活
を取り戻すことができますように。

心からお祈りいたします。

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