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2011年8月4日木曜日

こだわらない心

こだわりを捨てると言うのは簡単だが、実際はかなり難しいことだと思う。

ウィキペディアには、「拘り(こだわり)とは、特定の対象に、強く愛着し、
離れることが出来ない状態を指す。多かれ少なかれ、人には拘りがある。
だが、その拘りが得られない状態に置かれた場合、多くの人は拘りを
諦めるか、気を紛らわす。拘りが特に強いのは自閉症の特徴である
と書かれている。

社会的にうまく生きるためには、自分のこだわりを調整しながら周りに
合わせることも必要になるのだと思う。

仏教の「無常」の考え方からすると、不変のものはないのだから、人は何事
にもこだわらない方がうまくいくとのかもしれない。

しかし、それで自分のアイデンティティは維持できるのだろうか?

自分を孤立した小さな存在だと想定すると、それは難しいかもしれないが、
宇宙と一体の存在として想定すると、むしろこだわらない方が無我の境地
(宇宙的アイデンティティ?宇宙との一体感?)になれて悟りを得やすいと
思う。

こだわらない心になるためには、やはり「自分は孤立した存在ではない」
という意識がまず必要なのだと思う。

「たとえ自分が変わっても自分を失うことはない」という安心感が、こだわり
を捨てて自分を変える勇気を与えてくれるのだろう。

今、僕自身が大きく変化する時を迎えている。自分へのこだわりを捨て、
変化を受け入れ、それを心から喜べる自分でありたいと願っている。

予想外の出来事(変化)に出会うと人は驚き笑い出すことが多い。

笑いには、こだわりを超えて、変化を受け入れる寛容性がある。どんな
時にも笑って現実を受け入れることができれば、人はこだわりを簡単に
捨てられるようになるのかもしれない。

昨晩は、こだわりを持っていそうな人に、あえて変化を求めた。それは
逆に僕のこだわりを明らかにすることになるのかもしれない。

どんどん面白くなってきた。どんどん奇跡が生まれ出てくる。

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