以下は、昨日笑いヨガリーダーのMLに投稿したメールの形式を修正し内容に若干手を加えたものだ。
今回は、なぜ笑いヨガにおいても文化の多様性(様々な呼称、やり方、スタイル等)を認め受け入れることが必要なのか、ということについて話したいと思う。
実は、僕はリーダー養成講座もティーチャー養成講座も日本笑いヨガ協会でお世話になったので、「笑いヨガ」がとても使いやすく言いやすい言葉になっている。なかなか「ラフターヨガ」という言葉を使えない。
これはたぶん僕が教育された環境によるものだと思う。教育とは、教育された人に一つの文化を伝える。そして、その文化は、その人にとって馴染む文化になる。大阪人として生まれ大阪人として育った人が大阪弁を愛するのも同じことだと思う。
僕は、以上のことを理屈では分かっていたのだが、それを共感できるレベルまでは理解していなかった。もともと文化庁国語課と言うところで言語政策的な仕事をしていたので、むしろ呼称の統一の必要を感じていたくらいだった。呼称を「笑いヨガ」に統一した方が、世間に対するインパクトが大きいし、未経験者、初心者の戸惑いも少なくなると考えていた。
しかし、メアリーさん(日本に笑いヨガを初めて紹介した人、ラフターヨガジャパン代表)を始め、ラフターヨガ、笑いヨガの先駆者の方々とお付き合いするうちに、それぞれの方々の言葉への思い入れの深さに驚き、これまで築いて来られた文化の重さを知ることができた。
ラフターヨガを使い続けてきた人たちにとっては、ラフターヨガ、ラフタークラブ、~ラフターがとても言いやすく、しっくりくる言葉なのだということが分かった。僕はそれを軽く考えていたことを反省し、そうした用語の使用を認め、尊重し、受入れることが大切であると考えるようになった。
そうした多様性がある方が、人は平和に豊かに生きられるのだと今は考えている。
日本には、集団主義が発達し同質性を尊重する文化があるが、それも行きすぎると息苦しくなってしまう。もしかしたら、今の日本の閉塞感はそうした文化に由来するものかもしれないと感じている。
笑いヨガは、そうした日本人の閉塞感を打破し、笑いによって自由と喜びと楽しさを与えてくれるものなのかもしれない。
僕は、笑いヨガにとても大きな可能性を感じている。
以下は、とても有名なユネスコ世界宣言だ。21世紀は多文化共生の時代だとも言われている。笑いヨガもまさに多文化共生社会を目指しているのだと思う。
なお、ユネスコは国際連合の下部組織で教育や文化(世界遺産を含む)にかかわる仕事をしている国際機関だ。http://www.unesco.or.jp/
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「文化の多様性に関するユネスコ世界宣言」
http://www.unesco.jp/meguro/unesco/02923cul.div.htm
第31回ユネスコ総会採択
2001年11月2日、於パリ
(以下は、宣言の一部を抜粋)
独自性、多様性、多元主義
第1条 - 文化の多様性:人類共通の遺産
文化は時間・空間を越えて多様な形を取るものであるが、その多様性は人類を構成している集団や社会のそれぞれの特性が、多様な独特の形をとっていることに表れている。生物における種の多様性が、自然にとって不可欠であるのと同様に、文化の多様性は、その交流・革新・創造性の源として、人類にとって不可欠なものである。こうした観点から、文化の多様性は人類共通の遺産であり、現在および未来の世代のために、その意義が認識され、明確にされなければならない。
第2条 - 文化の多様性から文化多元主義へ
ますます多様化する我々の社会において、多元的(人種的・宗教的に)で、多様性に富み、活力ある文化的独自性を持ち、且つ共生しようとする気持ちのある人々や集団の間に、協調関係を確保することが必要である。全ての市民が疎外されることなく、また参加出来ることを目指す政策こそ、社会の結束を強め、市民社会の活力を高め、平和をもたらすものである。このように文化多元主義は、文化の多様性という現実に政策表現を加味したものである。文化の多元主義は民主主義から切り離せないものであり、文化交流に寄与し、社会維持に必要な創造力の発展に資するものである。
第3条 - 発展の一要素としての文化の多様性
文化の多様性はあらゆる人の選択肢の幅を広げるものであり、それは単に経済成長という観点からだけではなく、より豊かな知的、感情的、道徳的、精神的生活を達成するための役割を担うものとして、発展の一つの根源をなすものである。
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